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今日、城洋さんの自宅庭先から志津川市街地の嵩上げの現状を写真に収めた。
この場所の土地の高さから3m下の位置が、嵩上げの高さとなる。写真中央が来訪者・近隣商業地となり、土地の換地をする方々の用地となる。換地とは道路整備や嵩上げ整地を行い新しい市街地形成をする。そのため「減歩」として土地を16%減らされ、整備の資金に充てたりして、新しい町区・商業用地とする。
五日町が先行して進んでいるが、そこは観光・交流拠点とする行政の計画だ。町の中、全てで観光・商業の為の施設ができ、住民の生活場所だった所が大きく変わる。
写真の奥に見えるのが旧市場で、震災後に屋根を付けた漁民の作業所として建築され、ワカメの作業や漁業資材の整備・置き場として使われている。
これからも本浜地区の面影は、積雪のせいか何処からも感じ取れなくなってきている。
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2014.02.13 Thu l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

石巻市には91年ぶりの38㎝の積雪になった。仙台市も約50以来の積雪となり、海岸線の交通網は寸断されたが、週末の土曜午後からの豪雪で、大きな町復旧への影響は薄かった。
戸倉までの通勤時に旧東華商事の跡地から、十日町越しに本浜町の一帯を望んだ。その光景が写真です。ここからは賑わいの本浜行政区の面影をしる術は無く、嵩上げになった後では何も無く、想い出だけが心に残る。
震災時の本浜町の津波による犠牲者が、私が知り得る限り7名が亡くなられた。震災後の厳しい環境の中で、仮設生活などの町再建・住宅再建の途上に亡くなられた方も多い。先月の西城さんがあり、昨年は新しい方からで、工藤さん・村上さん・佐々木さんがあり、阿部さん・裏通りでもたしか亡くなられた方がおられ、6名を数える。震災後は家族での密葬もあり、総てに焼香をしたつもりだが、私も被災したので、情報の収集は叶わない部分もある。津波の犠牲者には混乱の中で、手を合わせる事も叶わなかった。
現在、生活の場確保を目指す地区民の皆さんに、お手伝いをしたいと考える。手伝える事が在ったら連絡が欲しい。(080-1801-6399千葉まで)
2014.02.10 Mon l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
2011-04-24 13.54.00
千葉印刷の三階建ての残った二階から、ぐるりと本浜町を眺めた。震災1か月後で地区を心配する、地区民の軽トラックが地区の中央道路を走れ抜ける。
何とか町の地区の、被災した後の写真記録を残そうと、見るも無罪な地区を撮りました。橋の袂の小野さん、本田外科さんもコンクリートと鉄骨だけは残った。東側の大森地区の高台の大きな家の側が残ったが、室内は手が付けられない程の、海底の泥に覆われたと聞く。ここは町の決めた津波避難場所でも、津波は「町営住宅」だった全てを呑込んだ。
2011-04-24 13.52.43
西側はコンクリート鉄骨の建物が多く、見た目で何処の建物かが判るが、その無残な姿に言葉がない。手前は我が家のコンクリートの倉庫で、一階部が残り隣の三階建ては一階の鉄骨だけは残った。
今後は私の土地は「換地」で、市街地の10mの嵩上げ場所に小さな仮設を建て、町の姿を震災の恐ろしさと、津波の脅威を伝える資料としたい。
2014.02.08 Sat l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

大森の地区から「あけぼの橋」ごしに、本浜町・南町を望む。橋の右のコンクリートの物体は災害復旧の道路と思ったが、これは橋の歩道だった事に気づいた。川の護岸は昔と変わらず、ハゼ釣りや「へなお」「おおがい」などの魚釣りをした事を思い出す。
CIMG5380.jpg
欄干の名前が津波にも耐え残っていた。こん看板も是非後世に残してほしい。
本浜地区の歴史・伝統がここにも脈々と残っている。10mもの嵩上げとなり、観光客や町のイベント会場に「本浜広場」との名称を付ける、と言う「公園部会」の案に大賛成である。古き良き地域の歩みの継承は、若い世代に「七福神」として残したいとの希望はあるが、地区民の高齢化や、コミニティーの崩壊が進み、伝統が消えうせる事を心配する。

2014.02.07 Fri l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top


気仙沼の「三陸新報」に大勝造船の千葉社長の人命救助があり、気仙沼・本吉消防広域事務組合から表彰された記事が載っていた。大多数の南三陸町民はこの美談を知る事は少ない。志津川字本浜町の大森との境に流れる新井田川河口での、3名での救助劇だったという。昨年12月30日の年越しの前日で、午後4時頃できっと寒かっただろう。連携でのロープでの救助だったと言う。
CIMG5423.jpg

上の写真には新井田川の袂に小野さんの家が今もある。
下の写真は町が進める「ショッピングモール」で、中央に見える小高い嵩上げ部分に、さんさん商店街の商店の大部分が、五日町の朝緑商店から南三陸商工会までの、10mの嵩上げの所に観光客の誘致がされ、これでトップの復興政策が展開されていく。
本浜町は公園部会の提案で「本浜広場」として、イベント会場に名前が刻み残される提案を、私は実現していただきい。
市街地の再生には有名なコンサルタントが、町形成の提案が用いられ、部会の提案がどこまで採用されるのか、その進捗を見つめていきたい。

2014.01.31 Fri l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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