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気仙沼の「三陸新報」に大勝造船の千葉社長の人命救助があり、気仙沼・本吉消防広域事務組合から表彰された記事が載っていた。大多数の南三陸町民はこの美談を知る事は少ない。志津川字本浜町の大森との境に流れる新井田川河口での、3名での救助劇だったという。昨年12月30日の年越しの前日で、午後4時頃できっと寒かっただろう。連携でのロープでの救助だったと言う。
CIMG5423.jpg

上の写真には新井田川の袂に小野さんの家が今もある。
下の写真は町が進める「ショッピングモール」で、中央に見える小高い嵩上げ部分に、さんさん商店街の商店の大部分が、五日町の朝緑商店から南三陸商工会までの、10mの嵩上げの所に観光客の誘致がされ、これでトップの復興政策が展開されていく。
本浜町は公園部会の提案で「本浜広場」として、イベント会場に名前が刻み残される提案を、私は実現していただきい。
市街地の再生には有名なコンサルタントが、町形成の提案が用いられ、部会の提案がどこまで採用されるのか、その進捗を見つめていきたい。

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2014.01.31 Fri l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

志津川市街地被災地の東区東の造成地の状況です。この場所への本浜地区の防災集団移転の数は17戸であり災害公営住宅は25戸の人が、当初希望していた。しかし、現在は土地の取得や住宅建設は無理と、住宅建設から災害住宅への移行が私が知る限り、2世帯が変更をして1世帯が帰郷が叶わなかった。その中で志津川での住宅再建や居住に、強い希望を本浜地区民は持っている。
東地区への2012年末は410世帯の希望から、現在は281戸となり、中央区が119戸から155戸と大きな変化を見せている。中央区の教育関係の施設の整備や、小中高校に近いと言う利点もあり、子供を持つ家庭が多くこの場所を希望する。反面、東区は病院が近いと高齢者が希望する状況がある。
今日は本浜町で生活していた「本の一」の西城さん91歳が亡くなり葬儀に参列した。こうした訃報をしる由もなく、本浜地区の方が10名に満たない参加だった。被災地での早期再建は難しく、新しい町の姿も見ずに逝去される高齢者がいる。昔のように多くの地区民が見守る中で送り出してあげたいと願うばかりだ。大雄寺さんへはこれで3名の方を送り出した。故郷に帰れず亡くなられた方を、震災の混乱の中で10名を超える方がいて、後での焼香にも何件かおじゃました。地元議員として、現在は前町議会議員して参列している。
2014.01.28 Tue l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

私の家の玄関側の道路です。向かいの及川魚屋さんと、隣の斉藤さん手前の本田さんがあった。角は佐々木さん? 記憶も薄れつつある。
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新漁港に行く裏通りで、マグロ漁船をしていた「阿部権」さん「山直漁業部」さんなど、大きな家が本浜町にはあった。地区民を支えたのはやっぱり近海漁業です。
2014.01.25 Sat l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

12月に志津川中学校から助作・中瀬町・八幡町を望む、写真で見る限りは何も変化はないようだが、左の山蔭には五日町があり、この部分の嵩上げが、先行で進んでいる。CIMG4735.jpg
写真は新井田地区で向こうの山が、上山緑地・熊野神社です。子供の頃に本浜から地区の子供達とセネ取りにいった事を思い出す。
川は新井田川でこれが国道45号となり、川は現在の国道へと移り入れ替わる。そして、新井田地区から現在の国道と合流し、志津川市街地の再生が成される。市街地の土地の換地が今、慎重に進められている。
2014.01.24 Fri l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

地区の津波避難場所として4歳の時のチリ津波、それ以降地震のたびにここまでの坂を上った・

CIMG5158.jpg
元旦の日の出をはまゆり大橋から、町民の多くが望んだ。
本浜地区の方もきっとここから、一日も早い復興をと願った。
2014.01.23 Thu l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

本浜地区のイベント広場の在り方について、公園部会と産業再生部会の提案を聞く。
A班は、賑わいを提供する場所として考え、駐車スペースも十分に整備する。来場者で満杯の時はアリーナ駐車場を利用し「シャトルバス」の運行を考慮する。広場の資材などを収納する場所を、本浜から少し離れた所(天王前など)に確保が必要だ。イベント広場には屋根を設け、雨天対応の会場となるように、ステージなどの設備も考える。
B班は、本浜広場(左岸)・汐見広場(右岸)と、イベント広場に旧行政区の名称を入れてはと提案する。また、本浜広場を「動」と定義し、夏祭り・復興市など多くの人たちの賑わいの場所とする。一方の汐見広場は「静」の場所と捉え、3・11追悼の場所やかがり火祭り・灯篭流しの会場とし、公園の中に川(八幡川)があるという広場とする。
汐見地区やイベント会場は、できればどちらかを二階建てとして、二階に駐車場を設置したり、津波避難塔としての役割も兼ねたものとしたい。川は鮭の遡上する場所の環境を維持し、捕獲や観光客見学地としての活用もある。灯篭流しの場所としては橋と橋は狭く、上流も灯篭の流し場として整備してはどうか。「築山構想」も検討している中で、頂上をヘリポートとの提案もあった。
多くの部会の提案・提言は行政の、町づりくに役立てられる予定だ。

2014.01.18 Sat l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

現在のファミマから45号の向かいが、清水の高台移転場所の予定で、27年度には造成と土地区画整理を済ませ、土地の買い取りや住宅建設となりそうだ。しかし、ハウスメーカーの確保は難しく、地元の工務店も「災害公営住宅」の町の建設始まり、親戚縁故の大工さんのいる被災者が、早期の建設となりそうだ。
9日の町づくり協議会の「高台移転部会」に、本浜の方が傍聴に来た。自分の今後の生活設計を考えると、高台移転の4年後は住宅建設は無いと言う。当然の事と反論ができなかった。
東地区の東への災害公営住宅と災害戸建があり、本浜の仮設生活者は病院・役場のあるこの地区を、早期の移転場所として切望している。また、土地は17戸いうが、この土地への土地希望は無い。
志津川市街地の3地区の高台移転のまだまだ長い期間のかかる事を、本浜の住民は静かに待つと言う。こんな行政に優しい人たちが多い我が地区です。
2014.01.12 Sun l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

地区の津波避難の指定地の「上の山緑地」に今日行って見た。見下ろす「本浜町」の1と2は半分が海水で埋め尽くされていて、本浜町1は地区全てが冠水していた。
避難場所までは私の自宅からは1キロに満たない場所で、この場所は海抜16m以上はあるだろう。上の山公園には子供たちの為の小さな山があり、そこから本浜地区を見ると、ずいぶん高いとは感じるが、ここまで津波は来た。避難した町民は増幅する津波の徐々勢いで、その奥へ奥へと向かい、そして助かった。その事実があり、ここまで避難した方では亡くなられた人はいないだろう。
浸水した本浜地区は、地区コミュニティーの再生は出来ないと確信する。10mの嵩上げの下に眠る。その上には新たな町の観光地としての形成が、現町長政策と行政そして県によりなされる。我が本浜地区は「イベント広場」と「大型駐車場」と生まれ変わりそうだ。今後は国道からの袖浜線の測量が始まる。
この写真でも下の海からの、ここまでの津波の襲来に「千年に一度」の津波の恐ろしさを思う。上山公園のこの場所には「明治大津波」の記念碑がある。百年前にもこの場所近くまでの大津波が来た事の「記録」「記憶」が刻まれていた。女川の中学生の「千年の記憶」の石碑を建立は、学生の活動として素晴らしい事と、過去の記録からも伺える。
2014.01.01 Wed l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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