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現在のファミマから45号の向かいが、清水の高台移転場所の予定で、27年度には造成と土地区画整理を済ませ、土地の買い取りや住宅建設となりそうだ。しかし、ハウスメーカーの確保は難しく、地元の工務店も「災害公営住宅」の町の建設始まり、親戚縁故の大工さんのいる被災者が、早期の建設となりそうだ。
9日の町づくり協議会の「高台移転部会」に、本浜の方が傍聴に来た。自分の今後の生活設計を考えると、高台移転の4年後は住宅建設は無いと言う。当然の事と反論ができなかった。
東地区の東への災害公営住宅と災害戸建があり、本浜の仮設生活者は病院・役場のあるこの地区を、早期の移転場所として切望している。また、土地は17戸いうが、この土地への土地希望は無い。
志津川市街地の3地区の高台移転のまだまだ長い期間のかかる事を、本浜の住民は静かに待つと言う。こんな行政に優しい人たちが多い我が地区です。
2014.01.12 Sun l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

地区の津波避難の指定地の「上の山緑地」に今日行って見た。見下ろす「本浜町」の1と2は半分が海水で埋め尽くされていて、本浜町1は地区全てが冠水していた。
避難場所までは私の自宅からは1キロに満たない場所で、この場所は海抜16m以上はあるだろう。上の山公園には子供たちの為の小さな山があり、そこから本浜地区を見ると、ずいぶん高いとは感じるが、ここまで津波は来た。避難した町民は増幅する津波の徐々勢いで、その奥へ奥へと向かい、そして助かった。その事実があり、ここまで避難した方では亡くなられた人はいないだろう。
浸水した本浜地区は、地区コミュニティーの再生は出来ないと確信する。10mの嵩上げの下に眠る。その上には新たな町の観光地としての形成が、現町長政策と行政そして県によりなされる。我が本浜地区は「イベント広場」と「大型駐車場」と生まれ変わりそうだ。今後は国道からの袖浜線の測量が始まる。
この写真でも下の海からの、ここまでの津波の襲来に「千年に一度」の津波の恐ろしさを思う。上山公園のこの場所には「明治大津波」の記念碑がある。百年前にもこの場所近くまでの大津波が来た事の「記録」「記憶」が刻まれていた。女川の中学生の「千年の記憶」の石碑を建立は、学生の活動として素晴らしい事と、過去の記録からも伺える。
2014.01.01 Wed l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

登米市を始め大工賃金が1.5倍・2倍と高騰しているとの、被災地の建設事情を聴く。しかしながら、登米市の建設・工務店の賃金は「13000円」と聞き、南三陸町建設職組合も同等の額と言う。
現在大工さん不足で町外・県外から職人を連れてくる建設業者は、どうしても割高になると言う。通勤や宿舎の料金分の賃金が上乗せとなり、2倍前後となる。
我が家も6月末の基礎工事から、現在の状況が今日が写真で、完成が11月末なのにこの状態にある。名古屋の建設会社は県内の工務店との下請け契約を結び、工事に着手したが、下請けの建設会社が自社のお得意の仕事を優先し、南三陸町までの工事現場には行くのが難しいと言い訳を言う。
高台の4年後の志津川市街地の再建は、こんな建設事情を今から考えると、何年経って家ができるのか想像もつかない。しっかりとしたハウスメイカーとの建設契約をお勧めする。
意外と地元業者が安心して頼める。
工事着手は土地が確保できて「建設許可」が取れて、その前に建設見積・金利補助の申請の準備ができ、合わせて浄化槽や太陽光・水道の補助事業への申請準備ができる。
急いでの建設会社を決めると、とりあえず基礎工事を始めれば、お客さんが離れられないと、基礎だけは直ぐ工事に入ると言う。
確実な信用の在る建設会社が良い。今でも1年待ちが当たり前で、住宅材料は高騰している。4年5年は掛かる高台造成、町から「終の棲家」を早くと、人口流出は加速するだろう。
2013.12.23 Mon l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
戸建は高台移転部会で情報を頂いています。しかし、災害公営入居の方々には、まだ先の公営住宅建設があり、入居などの今後の情報は行政からは出ていないと言う。
本浜地区のみならず、地区周辺の皆さん、一緒に生活したいと言う町民の方々から、「委任状」を頂きかわって行政に、今後の進捗や相談をし、皆さんに現状を伝えたいと考えています。
電話くだけれは伺いたいと思います。(携帯080-1801-6399)へ
2013.12.20 Fri l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

今日は「あわび開口」らしく、海岸線の岩礁に数隻の小舟を見つけた。
40年前は1Kあたり2500~3500円だったアワビの浜値、現在は6000円前後と浜の価格となり、その漁獲が少ないからでもある。私の同級生のお兄さんは、こないだ60Kも獲ったらしく、単純に一朝で36万となる。ポイントを知りつくしカギ使いが上手なのだろう。そんなにも豊潤な志津川・歌津の南三陸の海がある。
子供の頃は本浜の市場にも多くの魚介が並び、その活気に上下の差などなく、皆が互いに助け合った生きた時代だった。
現在、海との係わりの方々は、同じ牡蠣漁業者は交流はあるものの、日一日と繋がりの希薄さを感じる。こないだ高齢者の会がホテルであった。父親90歳の仲間も20名弱の中に4人もいたと言う。親父には物足りない会だったと話す。90歳を過ぎ顔を見るだけで、集まった方々は良いのだと思っている。父は昔の事そして今を語り合いたいとの気持ちから参加した。
今、みな師仮設に住む方が近所の人には多く、是非、家ができたらば町に帰った時に集まる場所として提供したい。あと数か月待ってほしい。私も本浜再生の情報を収集しておかないといけない。
志津川地区の3地区の災害公営住宅は、当初の681世帯から、最近の意向では「489世帯」に驚きでしかない。
2013.12.17 Tue l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top